【いつまでも忘れられない店の話】旅先で入った小料理屋で…



学生時代の一人旅。不慣れな土地、夜道で寒さに震え、途方に暮れる中で見つけた明かり――。
空腹を満たそうと入った小料理屋で、思わぬ出会いがありました。
<タクヤンさんからのおたより>
まだ何も世間を知らず、何でもできると信じていた学生の頃の話です。
私は今、神奈川県に住んでおりますが、学生時代は山梨県にて寮生活をしておりました。
冬休みを利用して新潟は佐渡島まで一人旅。宿泊先も予約せずに、行き当たりばったりの旅をしました。
2泊の旅行、1泊目は、とある民宿へ難なく泊まることができました。着いた時間も夕方に近かったことから、民宿でお風呂に入り、夕飯を食べて「これなら、明日もスムーズに行ける」と過信し、次の日を迎えました。
朝から荒れている日本海を見たりしていたところ、昼過ぎから雪が降ってきました。
当初、雪が降ったことではしゃいでいたのですが、夕方の5時には寒さと空腹、暗い道で途方に暮れていました。
手も冷たくなりどうしようかと不安になっていたときに、ポツンと小料理屋の明かりが見えたのです。一時的にも避難しなければと店に入りました。
店には地元漁師らしき方が4人ほどおり、酒のにおいと大声でした。
店の女将さんが切り盛りしており、「いらっしゃい」と温かく迎え入れてくれました。豚汁と煮魚定食を頼むと、女将さんは「見かけない子だね」と声を掛けてくれました。
神奈川から一人旅していること、これから宿を探そうとしていることを伝えると、この辺では宿は無いと。
「うちの2階に泊まりなさい」
と言われた時は涙。頼んでいないお刺身もいただき、地元漁師らしき方の人数も10人くらいに増えていました。泊めていただくお礼として、皿洗いしました。
次の日、雪は止んでおり外を出ると、民家しかないことにあらためてびっくりしました。
その後、3年間という短い期間ですが、女将さんとは年賀状の交換。その後亡くなったと聞きショック。40歳のときに再度店を訪れた時には、当時の写真があったのには涙。
冬の寒さに見つけた人のやさしさと温かみを感じた店を、いつまでも忘れません。

自転車旅の途中、浜辺で出会った男性。
知らない土地で知らない人が声をかけてきた――およそ60年たった今も記憶に残る出来事が、そのあとに起きたのです。
<Tさん(静岡県・70代男性)からのおたより>
あれは、今から60年ほど前の話です。高校3年の夏でした。
高校生活の思い出に、故郷の鹿児島から大阪まで自転車旅行をしました。
鹿児島を出発してから3泊目の夕刻。山口県に到着して浜辺でテントを張る場所を探していたところ、労働者風の男性から、
「何をしているんか?」
と声をかけられ、「今からテントを張る場所を探しているところです」と返事しました。
すると彼は「今からテントを張るのは大変だろうから、俺のいる宿舎で泊まったらいい」と、案内してくれました。
夫婦で宿舎の炊事を生業としている方で、風呂に入らせてもらい夕食をご馳走になり、一泊させて頂きました。
明くる朝、出発間際に男性から「これを持って行け」と千円札を渡されたのです。食事や宿泊の面倒をみてくれたうえ、見ず知らずの私にお金までくださるとは何という人かと、感激の余りお礼もそこそこに大阪に向かいました。
その夫婦は、身なりからして決して裕福ではないように見え、しかも当時千円と言えば私にとってもかなりの大金でした。
鹿児島に帰ってから礼状は出しました。今でもその時の人の情けとありがたさが身に染みて、何らかの形でお礼がしたいと思っていましたが、年月の流れで住所やお名前など失念して、お礼のしようもありません。
ある時、その一件を人に話したところ、
「お礼出来ないのは残念だろうが、必ずしもお礼にこだわる必要はない。ご恩返しと言う言葉があるが、ご恩送りと言う言葉もある。受けた恩を返したいなら、困った人を見かけたら、その人を助けてあげたらいい。これをご恩送りと言う」
と教えられ「なるほど」と、その言葉の持つ意味に感銘を受けてそれを実践するよう努めています。
あの時の親父さん夫婦、その節は大変お世話になりました。ありがとうございました。

特等席で見ていた「ねぶた祭り」。
疲れて楽しめていなかった小学生を、男性のふとした心遣いがすっかり変えてくれました。
<おちばさんからのおたより>
20年ほど前、わたしが小学生の頃のお話です。
親に連れられて青森のねぶた祭りを見に訪れました。
当時私は北海道在住で、初めて乗ったフェリーや、お囃子の音や人混みに驚いて疲れてしまい、観覧席最前線でありながら、お祭りを楽しむ余裕がなく下を向いて座っていました。
今となってはそれがとても貴重で、ぜいたくな機会であったことがわかりますが、当時はそこまで理解できていませんでした。
そんな中、突然膝の上の手に鈴がひとつ置かれました。
男性のハネトさんが衣装に付けていた鈴を私にくださったんです(おそらく20代くらいの方だったように思います)。
その瞬間から、お囃子の音、ハネトさんの踊りや掛け声、ねぶたやハネトさんがまとった衣装の色彩が鮮やかに変化しました。
その後は最後までお祭りを楽しむことが出来ました。
あの時のハネトさんへ、あの時あなたが鈴をくださったおかげで、今でも忘れられない大切な思い出のひとつとなりました。
本当にありがとうございました。
誰かに伝えたい「あの時はありがとう」、聞かせて!
名前も知らない、どこにいるかもわからない......。そんな誰かに伝えたい「ありがとう」や「ごめんなさい」を心の中に秘めている、という人もいるだろう。
Jタウンネットでは読者の皆さんの「『ありがとう』と伝えたいエピソード」「『ごめんなさい』を伝えたいエピソード」を募集している。
読者投稿フォームもしくは公式X(@jtown_net)のダイレクトメッセージ、メール(toko@j-town.net)から、具体的な内容(どんな風に親切にしてもらったのか、どんなことで助かったのか、どんなことをしてしまい謝りたいのかなど、500文字程度~)、体験の時期・場所、あなたの住んでいる都道府県、年齢(20代、30代など大まかで結構です)などを明記してお送りください。秘密は厳守いたします。
(※本コラムでは読者の皆さんに投稿していただいた体験談を紹介しています。プライバシー配慮などのために体験談中の場所や固有名詞等の情報を変更している場合がありますので、あらかじめご了承ください)

家を出る時は雨の気配なんてなかったのに、買い物を終えたらどしゃ降り。荷物だけじゃなくて、幼い我が子も抱えているのに......。
静岡県在住の40代女性・Aさんは10年ほど前のその日、スーパーの出口で困っていた。
車を停めている駐車場までそんなに離れてはいないものの、屋根から出ればびしょ濡れになってしまうのは明らかで......。
<Aさんからのおたより>
私は結婚を機に故郷を離れ、県外へ嫁ぎました。
そこで子供も生まれて、生後8ヶ月くらいの頃のことです。
抱っこ紐で子供を抱いて、いつも行くスーパーで買い物を済ませました。そして駐車場へ向かおうとしたところ、外は土砂降りだったのです。
家を出た時は雨なんて降りそうもなかったので、傘は持っていませんでした。
出口で、駐車場に行けない人たちが皆「どーしようねー」と声を漏らしています。
私も抱っこ紐と大きな買い物袋を下げ、息子をあやしながら小降りになるの待ちました。
......が、全然止む気配は無く酷くなる一方。そこまで遠くない駐車場、ちらほらダッシュで車に駆け込む人たちも出てきて、「私も走ろうか...」と思いはじめました。
まず買い物袋を後部座席に乗せて、子供を抱えたまま一緒に後ろに乗ってチャイルドシートに乗せて......。頭の中で段取り考えていたら、1人のおばさまが一度自分の荷物を置いてきた上で出口に戻ってこられました。
そして傘をさしながら、「車どこ?傘さして行ってあげるから行こう!」と言ってくださって、私が息子と荷物を無事に車に乗せるまで、ずっと濡れないようにしてくれたのです。
「後日御礼をしたいのでご連絡先教えてください!」と言いましたが、「いいのいいの!」と帰ってしまいました。
両親は県外で頼れない、仲の良い友達も居ない、昼間は息子と2人きり。その時の私には、そのような人との触れ合いが本当にありがたく感じられ、涙がでました。
「ありがとうございます!」と何度も御礼を言いましたが、それから数年経っても、今まで生きてきた中で1番と言えるほど嬉しく、感動した出来事でした!
本当にありがとうございました!
あなたの「やさしい思い出」、聞かせて!
名前も知らない、どこにいるかもわからない......。そんな誰かに伝えたい「ありがとう」や「ごめんなさい」、あるいは「どんなもんだい!」を心の中に秘めている、という人もいるだろう。
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兵庫県在住・50代のYさんが「ありがとう」を伝えたい相手は、息子が幼い時に出会った女性。
同じバスツアーの参加者で、突然のアクシデントに救いの手を差し伸べてくれた。
<Yさんからのおたより>
31歳の息子が未だ幼稚園時代のことです。実家の家族と一緒に奥道後バスツアーに参加しました。
幼い息子は大きなバスに乗れるとあり大喜び。車内ではおやつを食べながら始終ご機嫌でした。
そして、私がうっかり目を離している隙に大人のつまみであるスルメを爆食いしてしまったのです。
案の定、息子は途中で気分が悪くなり、大量にもどしてしまいました。
満席の狭い車内で服をドロドロにした息子は大泣き。私はパニックに。その時です。
「お姉さん!これ使って!!」
後ろに座っていらした初老の女性が使い古した感じのタオルを投げて下さいました。
本当に本当に有り難くて涙が出そうでした。
ろくに御礼も出来ないままバスは解散地に。「エエねん。雑巾がわりに持っていたタオルやから」と、その方は笑顔で去って行かれました。
お名前も聞けず恩返しは出来ませんが......私も誰かにいつか同じ事が出来れば、「恩送り」が出来れば、と常に余分にタオルやハンカチを持ち歩く様になりました。
あの時の女性の方。改めてありがとうございました。

大阪府在住の60代女性・カズさんが思い出すのは、すでに大人になった娘がまだまだ幼かったころのこと。
言葉を覚えたばかりの娘がご近所さんを「おばはん」と呼んでしまったのだという。
突然のことに、カズさんは大慌てで......。
<カズさんからのおたより>
娘が保育所に通っていた2歳前後のころのことです。ようやく言葉を覚えたばかりでした。
ある日、お向かいにおひとりで住んでおられたおばあちゃん(90歳くらいかなぁ)に「こんばんは」と挨拶したら、娘は覚えたばかりの言葉を大声で叫んだのです。
「おばはーん!」
私は慌てて「すみません」と謝りました。
すると、おばあちゃんは笑いながら「幼稚園や保育所に行ったら、良いことも悪いことも覚えてきます。かまへんかまへん。私も子供4人育てたからようわかるよ」とおっしゃってくださったのです。
その言葉にすごく励まされたのを覚えています。
そんな娘も今は中学校の教師になり、毎日頑張っています。
あの時の優しいお言葉のおかげで、私もゆったりと子どもを見守ることができた気がします。
おばあちゃん、ありがとうございました。

滋賀県在住の50代男性・Oさんには、目指す「お年寄り像」がある。
Oさん夫婦が若かったころに旅先で出会った老夫婦がモデルだ。
<Oさんからのおたより>
35年近くも前の思い出です。
当時1歳の長女が旅先で夜中に泣き出して、なかなか泣き止まずに困ってしまいました。
しかも朝、朝食の会場で年配のご夫婦から「昨夜はかなり夜泣きされてたね」と言われて......。
私と妻は「すみません、やかましくて申し訳ありません」と謝りました。
しかしご夫婦はこう言うのです。
「久し振りに赤ちゃんの泣き声を聞いて嬉しかったわ」
その言葉に、ホッとしたのを覚えています。
その長女も30歳を過ぎ、孫もずいぶん大きくなりました。
ジィジとバァバも、そんな風に言えるようなお年寄りを目指します!
誰かに伝えたい「あの時はありがとう」、聞かせて!
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アリサさんは10年前のその日、名古屋を訪れていた。
2人の幼い子供も一緒で、ベビーカーも持っている。
両手のふさがった彼女に声をかけたのは、大学生くらいの男性だった。
<アリサさんからのおたより>
2016年5月に2歳と0歳の子どもを連れて、夫の出張先である名古屋に行った時のことです。
当時はまだあまり地下鉄の駅にエレベーターが多くなく、駅のコンコースも細かい段差がたくさんありました。
旅先のため、どこにエレベーターがあるのかわからず、0歳の娘を抱っこし、2歳の息子の手を引いて、反対の手でベビーカーを担いで階段を下りていった時のことです。
突然、大学生と思われる男性が「持ちますね」といって、階段を下っていたわたしの右手からベビーカーを下ろし、自分の肩に担いで、颯爽と階段の下まで運んでくれました。
私たちが下りるまで待っていてくれたのでお礼を伝えたところ、「力になれてよかったです」と眩しい笑顔を見せて、さっと仲間の元へと帰っていきました。
階段を降りるのがとても辛かったので本当に助かりました。
仲間がいる時でも、恥ずかしがらずスマート人助けができる青年の心が素晴らしく、素敵なご両親に育てられたのだなと思いました。
息子もそんな素敵な青年になってほしいと思いました。
また、知らない人に助けてもらえたことで、子育てを応援してもらえたような気がして本当に嬉しかったです。
本当にありがとうございました。

千葉県在住の70代男性・Nさんはその時、JR上野駅の山手線ホームに立っていた。
同じホームには、車いすに乗った中年男性がいる。
その様子を見ていたNさんは、電車が到着したときにあることに気付き......。
<Nさんからのおたより>
もう10年以上前のことです。
上野駅のホームで、車いすの中年男性が山手線を待っていました。
やがで電車が入線。停車した電車の扉が開いた時、私はホームと電車に少しの段差があることに気がつきました。
「手伝った方がいいかな」と考えている間に、ご本人は躊躇なく、自力で車いすを押して乗車しようとしていました。
それを見て私は思わず、何も言わずに車いすを押したのです。
すると、まったく知らない人も私と同じようにその車いすを、同時に無言で押していました。
3人で力を合わせ、無事、電車に車いすを入れることができました。
ご本人は誰かが手伝ったことには気がついたはずですが、車椅子が後ろむきのままドアは閉まり、電車は発車してしまいました。
その後、一緒に手伝った方を目で追うと、無言のまま、ホームの反対方向に歩き去っていくところで、「ごくろうさんでした」の気持ちを込めて見送りました。
こういうのもあるんだと、いい年をしてグッときました。

東京都在住の30代女性・Hさんは、大学生時代に電車で見知らぬ男性に体を触られた。
最初は「気のせいなのではないか」と考えていたHさんだったが、そのうちに接触はエスカレートして......。
その時、助けてくれた別の男性に感謝を伝えたいと、今でも思い続けているという。
<Hさんからのおたより>
10年ほど前、痴漢にあったときに助けてくれた男性にお礼を言いたいです。
当時、私は大学生。友人と旅行のために電車で集合場所に向かっていました。
車内は特に混んでおらず、隅の席に座っていたのですが、その隣に男性が座ってきて......。
「他にも空いている席はあるのに変だな」とは思いながらも、私はウトウトしはじめました。
そしたら、男性はポケットの中の携帯電話を何度も出し入れしだして、その度に私の足に触れるのです。
最初は気のせいかと思っていたのですが、だんだんと足にしっかり触れてるようになっていくのがわかりました。
その場を離れたかったのですが、男性が足で私の旅行カバンを押さえつけていて、私の足は壁との間に挟み込まれ、身動きが取れない状態に。頭の中が恐怖でいっぱいになりました。
そのとき、前に座っていた男性が「あんた、それ痴漢?」と声をかけてくれたのです。
結果、痴漢行為は止みました。ただ、私はどうしたらよいかわからず、とにかく怖くて、荷物を持ってその場を離れてしまいました。
あの時、声をかけてくれなかったら、ずっと足を押さえられ痴漢行為をされていただろうと思います。
助けて下さった方にお礼を言えなかったことが申し訳なく、「ありがとう」を言いたいとずっと思っていました。
この場を借りてお礼申し上げます。
誰かに伝えたい「あの時はありがとう」、聞かせて!
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千葉県在住の70代男性・ゴンさんには、子育て中の苦い思い出がある。
その日はゴンさんと妻、2人の子供たちは海水浴に行っていた。
そして、ゴンさんが目を離した隙に、子供たちは流されてしまい......。
<ゴンさんからのおたより>
私はこの年末で73歳になります。あっという間にじじいになってしましました。
子供は2人います。仕事が忙しく、子育ては妻任せでした。
忘れられないのは、仕事が久しぶりに一段落した時に行った房総半島。
初めての家族での海水浴での出来事です。
途中、私がトイレに行ってから戻ると、波打ち際で浮き輪で遊んでいた娘と息子が、見当たらないのです。
ビックリしてあたりを見回しましたが、近くに2人はいません。
2人がいたのは、100メートルほど沖合でした。10分程度その場を離れた隙に、流されてしまったようです。
見つけた時は、心臓バクバク。妻に状況を説明し、直ぐに泳いで救出に向かいました。
ライフガードがいたかどうか、記憶にありません。ただただ泳いで2人のもとを目指します。
近付いてみてわかったのは、子供たちが一つの浮き輪に窮屈そうに入って楽しそうにしていること!
そして、近くで2~3人のサーファーの方が2人を見守ってくれていたらしいことを知りました。
その後、波打ち際まで3人で戻り、妻と合流してホッと安心したのを覚えています。
遠い昔の出来事ですが、一生忘れることはできない苦い思い出です。
近くで見守ってくださっていた(勝手な私見ですが)サーファーの方に深謝申し上げます。
おかげさまで、子供たちもすっかり成長しました。
長女は双子の兄妹を出産し、育児に悪戦苦闘。妻と私も育児のサポートに悪戦苦闘する楽しい日々を過ごしています。また、長男も近々に結婚しそうです!

沖縄県在住の30代男性・Kさんがまだ幼かったころのことだ。
その日、彼は車の中で、母親が戻ってくるのを待っていたのだが......。
<Kさんからのおたより>
私が4~5歳だったころ、母と地元のスーパーに行った時のことです。
(まだあの頃は世間的にも許されていたと思うのですが、)私は車内に1人で残り、母が買い物を終えるのを待っていました。
そして、退屈しのぎに、外し方を覚えたばかりの発煙筒を手に持ち遊んでいたのです。
当時、擦ると煙が出ることを知っていたのか知らなかったのか......。とにかく私は擦ってしまい、発煙筒は発火。
車内はあっという間に煙でいっぱいになりました。
今考えるとドアを開け車外に出れば良かったのですが、私はパニックになり、その選択ができませんでした。
「火が出てしまった! 消さなくては!」
という思いに駆られながらも、体は固まるばかり。
その時、車のドアが開きました。
私の手から発煙筒を取り、遠くへ持って行ってくれた女性の背中だけが記憶に残っています。
40〜50代だったと思います。
その後、母に話して女性を一緒に探しましたが、見つからず、お礼が言えませんでした。
あの時は本当にありがとうございました。
あなたが居なければもっと大事になっていたと思います。

大阪府の10代女性・Eさんは、中学生時代に見知らぬ人たちに助けてもらったことがある。
それはある冬の夜。電車に乗っていた彼女は、体調が悪くなってしまい......。
<Eさんからのおたより>
2021年の冬の夜のことです。
当時、私は中学生で、クリスマスのコンサートに向けてダンスの練習しに行った帰りでした。
天王寺駅に向かう電車に乗っていたのですが、体調が悪くなってしまったのです。
でも、電車内は人が多くて、休もうと思っても座れません。
苦しいですが立ったまましばらく耐え、やっと天王寺駅に着きそうになった頃、耐えきれず倒れてしまいました。
気がついた時には男性に支えてもらっていました。
その方は、混乱して言葉が出ない私に「痛いところはないか、頭を打っていないか」とゆっくり確認し、駅員さんに状況を説明してくれました。
失神なんてしたこともなかった私はパニックで、感謝の言葉も伝えられませんでした。そのことを、ずっと後悔しています。
届くか分からないけれどこの場で伝えたいです。
あの時は失神した私に落ち着いた対応をしてくれてありがとうございました。
また、私が倒れた拍子に落としてしまった携帯を拾ってくれたお姉さんと、私のために急いで水を買って渡してくれたお兄さんにも、心配してくれてありがとうと伝えたいです。
誰かに伝えたい「あの時はありがとう」、聞かせて!
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山形県在住の40代読者・Mさんの財布には、10枚の千円札が使われることなく、大切にしまわれている。
それはMさんが受験生だった時にある人から貰ったもので......。
<Mさんからのおたより>
東北出身のわたしは10代のとき、富山県の高専を受験しました。
北陸新幹線も開通していないころで、入試へは東北の日本海側からの夜行列車で行き、試験後の帰路も夜行列車でした。
1人、冬の駅前で帰りの夜行列車の時間を待っているときのことです。
少しでも温まろうと、自販機の前で何かを買おうとした時でした。他には誰もいないと思っていましたが、話しかけてきた中年男性がいたのです。
「どっから来たん?」
そう問われた私が「山形がらきましたー」「高専の受験さきたんで」と答えると、その人は私に何かを差し出しました。
「んな、遠くから来たんならこれ持ってけ」
「いいんですが?」
「あんたの将来への投資だよ。何か買いな」
そんな会話をしながら受けとったものを見ると、新品のホッカイロと千円札が10枚入っていたのです。
ひとり寂しかった富山でしたが、帰りの列車ではうれし泣きしながら山形への帰路につきました。
かれこれ20年以上経ちますが、富山と聞くといつも、この思い出が、よみがえります。
その1万円はいまだに使えず、大切にお財布にお守りとして、入っています。
あの時のあの方へ、ありがとう。

高校時代、困って何もできなかったときに助けてくれた二人。
しっかりお礼をするチャンスを逃した後悔も残りつつ、親切にしてくれた二人のことは何年たっても忘れません。
――埼玉県の50代女性、けいさんの思い出を紹介する。
<けいさんからのおたより>
高校に入学して2年生になった頃、弾いたこともないエレキギターを持っていることで、何かの拍子にコピーバンドをやることに。
メンバーに教えてもらいながら、下手でしたが何度か舞台で演奏することもありました。
3年生の文化祭、舞台で演奏することになりましたが、当日のリハーサルで弦が切れてしまうハプニング......。
慣れている人なら替えの弦を持っているのでしょうが、私は持っていなかったため、どうしたら良いか分からず、泣いてしまいました。
それを見ていた他のバンドのメンバー二人が、学校から2キロ以上ある楽器店に自転車で買いに行ってくれたのです。
代金を渡そうとすると、「いらない」と去っていってしまいました。
それから、校舎内ですれ違ったりすることもありましたが、たいしたお礼もできず学校を卒業。
もうだいぶ過去の話ですが、きちんとお礼を伝えればよかったという後悔と、二人の優しさあふれる思い出です。あの時は本当にありがとうございました。
小学校5年生の男の子を育てるTさんは、息子が1歳の時、買い物中に彼を見失ってしまったことがある。
Tさんにとっては、若くして生んだ一人息子。不安でいっぱいになりながら必死に店中を探したのだが見つからず......。
<Tさんからのおたより>
もう9年前になるでしょうか。ずっと利用している近所のスーパー、「ベイシア」へ当時1歳の息子と買い物に行ったときのことです。
私は息子からふと目を離してしまい、その隙にはぐれてしまったのです。
店内を探しても見つからず、サービスカウンターに行って店員さんにも一緒に探していただきましたがそれでも見つからず......。
若くして産んだ一人息子だったため色んな思いが駆け巡りましたが、息子が見つかったとしらせが入りました。
息子は店外へ出てしまっていて、それを見知らぬご高齢の男性が捕まえて、道路に飛び出さないよう確保してくださったそうです。
ご老人と店員さんのおかげで傷一つなく息子を見つけられ、店員さんにその場に案内していただいた時には安心して、お恥ずかしい話ですが息子を抱きしめて泣いてしまいました。
息子は大病なく元気にすくすく育ち、小学校5年生になりました。
今があるのはあの時の男性の方、一緒に懸命に探してくださった店員さんのおかげだと今でも思っております。
その場で泣きながらですがお礼はお伝えましたが、改めて伝えたいです。あの時は本当にありがとうございました。
誰かに伝えたい「あの時はありがとう」、聞かせて!
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神奈川県在住の60代女性・Kさんがメールで送ってくれたのは、彼女の次男がまだ1歳だった頃の思い出だ。
その日、家族は旅行に行っていたのだが、旅館での食事中に次男が泣き出してしまい......。
<Kさんからのおたより>
次男がまだ1歳だったころの家族旅行でのことです。
旅館の食堂での夕食時に次男が急に泣き出して、テーブルの上のものをひっくり返してしまい......。
泣き止まないので、母親の私は食事を中断し、次男を抱っこして食堂の入り口であやすことに。
次男がやっと泣き止んだころ、隣のテーブルに座っていた私の母くらいの女性が食事を終えて横を通りかかりました。
そして、わたしにこう言ったのです。
「お母さん、小さい時に親を困らせるような子は大きくなると親孝行をしてくれるわよ~♡」
その言葉がとても嬉しくて、涙が出てきました。
あのときは困り果ててましたが、今では次男も立派な大人になりました。
あの言葉は忘れません。ありがとうございました!

愛媛県在住の30代女性・たぬさんが感謝を伝えたいのは、とある店で出会った2人の年上の女性たちだ。
「自分のことは自分でしなければならない」と考え、育児中は孤独感にさいなまれていたMさんは、その2人に救われたのだという。
<たぬさんからのおたより>
その日わたしは、0歳の子供を抱っこしたまま、1週間分に近い大量の買い出しをしていました。
会計後、店員さんは重たい買い物カゴをカートにまでは乗せてくれました。
しかし、私はそこからサッカー台に乗せることもできず......。
すると、隣にいた60代くらいの女性が、「お互い様やけんね〜!」と、カゴを台の上に乗せてくれたのです。
それだけでもありがたかったのですが、その後、1人で袋に商品を詰めていると、今度は80代くらいの女性に声をかけられました。
「大変でしょ、私が荷物を詰めてあげるから」
その方はそう言って、変わりに袋に商品を詰めてくれて......。
流石に申し訳ないと思い、「大丈夫です! 大丈夫です!」と、遠慮したのですが、
「いいのよ赤ちゃんも抱っこして大変でしょ」
と、引き続き詰めてくださったのでした。
昔の「みんなで子供を育てる」という環境とは違い、今は親が子供を育てる時代なのだという印象がありました。
他人は他人。自分のことは自分でしなければ、と思っていたのです。
しかし、あの日であったお二人は、わたしを助けてくれました。なんて素敵な人たちなんだろう、と思いました。
子育て中は孤独を感じていましたが、お二人のおかげでとても心が温まりました。
感謝の気持ちしかありません。
あの時は、ありがとうございました。

妊娠中のNさんはその日、クタクタの状態で電車に乗っていた。
旅先で倒れた母を見舞うため、遠方の病院へ行った帰りだったという。
しかし電車は混んでいて座れず、ようやく空いた場所に座ろうとするも......。
<Nさんからのおたより>
25年ほど前、長い不妊治療の末にやっとの思いで授かった赤ちゃんを妊娠していたころのことです。
ようやく5か月を迎えて安定期に入った矢先に、母が旅行中に倒れて、自宅の三重県から遠く離れた静岡県で緊急搬送されました。
くも膜下出血でした。
母は今でこそ、多少の後遺症はあっても元気に暮らしていますが、その時はかなり重症で、地元の病院に移す事すら危険でできない状態。
完全看護とはいえ、やはり心配だった私は、少し大きくなってきたお腹を抱えながら、毎週三重県から静岡県まで電車でお見舞いに通っていました。
その日も母のお見舞いに行き、帰りに名古屋で乗り換え。電車がとても混んでいたので、クタクタになりながらも立っていると、途中で近くの座席が空きました。
「やっと座れる」。そう思ったのも束の間、若い女性がその席に座ろうとしました。
するとその時、30代前半くらいの男性が「ちょっと」と、その女性を制止したのです。
そして私に向かって「どうぞ座って下さい」と、声を掛けて下さいました。
女性は最初、怪訝そうな顔をしていましたが、私のお腹を見て納得したようです。気まずそうにその場を離れて行きました。
私は男性にお礼を言って、その席に座らせて頂きました。
名古屋から1時間立ち続けるのを覚悟していたので、本当にありがたかったです。
「こんな風に気遣ってくれるなんて」という驚きとともに、大きな嬉しさを感じました。
おかげ様であの時は、ゆっくり身体を休めながら帰ることが出来ました。
本当にありがとうございました。

静岡県在住の50代女性・Kさんは若いころ、見ず知らずの「ギャル」に助けてもらったことがあるという。
それは、慣れない東京で、友人との待ち合わせ場所に向かおうとしているときのこと――。
<Kさんからのおたより>
まだ20代のころ、初めてのハワイ旅行に行くために、東京の友人と京成スカイライナー上野駅で待ち合わせをしました。
東京に行くのも一人では緊張するのに、一度も行ったことがない私鉄の駅。緊張でいっぱいのまま、待ち合わせ場所を目指します。
当時はスマホも携帯もない時代で、右も左もわからない。大きなスーツケースを携え、あたりをキョロキョロ見回す私は、かなり挙動不審だったと思います。
そこへ、サラリーマン風の年配のおじさんから声をかけられました。「どこへいくの?」「案内しようか?」「時間があるならお茶しない?」としつこくて......。
逃げようにも道がわからないし、待ち合わせの時間はもうすぐだし、と困っていたところに、1人のギャルが前から歩いてきました。
そして彼女は「あ、待った? 遅くなってごめんね~」と私の腕をつかんで、どんどん歩いていくのです。
私がわけもわからないままキョトンとしていると、彼女は小さな声で「どこまで行かれますか?」と聞いてくれました。
そして、成田空港に行くので京成スカイライナーに乗りたいことを伝えると、どんどん歩いて駅まで連れて行ってくれたのでした。
守ってもらった上に、彼女のおかげで待ち合わせにも間に合い、とても助かりました。
彼女は「楽しい旅行をしてきてくださいね」と言うと、颯爽と立ち去りました。
私もまだ若く、彼女の連絡先を聞いたりお礼を渡したりするほどの機転が利かずに、そのままになってしまいましたが、今思うと感謝してもしきれません。
彼女に感謝が伝えられたら、と今回投稿してみました。